久しぶりに映画を見に行った話。

テイク・ディス・ワルツっていう映画を観た。

(以下、壮大にネタばれ。)

一言で言うと、「人妻が不倫する話」なんだけど(笑)

結婚5年目の主人公は、ハンサムではないけれど優しくて愛し合ってる夫と仲良く暮らしているのだが、旅先で出会った超イケメンとちょっと仲良くなったら、なんと自宅の真向かいに住んでいることが分かる、というところから話は始まる。

ありえないだろそんなん、って思うかもしれないけど、いやでも、実際にこんなことあったらすごいきついだろう。真向かいは勘弁して欲しい。

そこからまあ、だんだんと親しくなっていくわけなんだけれど。


なかなか面白いなと思わせるのは、この映画、非現実的な世界観の中にえぐいと言えるほど現実的なシーンを挟み込んでいる点。

私とほぼ同い年の女性監督は、一体何を思ってこんなあくどいものを作ったんだろう。

主人公とダンナさんとが2人で並んで黙ってテレビ見てるシーンとか、
主人公がおトイレしてるその横でダンナが歯磨きしてるシーンとか、
ああ、仲はいいけど、どきどきするようなものは無いんだね、と思わされる。

一方で、例の男性とは、「どんな風に愛するのか教えて」なんてきわどい会話をしたりする。そういうことを知りたくなる気持ちもなんだか分かる。気になる相手への興味って、最終的にはそこに行き着くかもなとか。


結婚記念日に夫婦で外出しようとしたときに、たまたま例の男性に出会ってしまったときの、夫は感じず主人公だけが感じている気まずさ。

その後のディナーで、「会話をしたいの」という主人公に、「君の事はなんでも知っているのだから、会話なんてする必要ないよ」とか言ってしまう夫のやばさ。

主人公は自分のさみしさを伝えたいのに、夫にうまく伝わらないはがゆさ。

一番近くにいるのに通じ合えないという苦しみも、あああるよね、そういうこと。


それで結局主人公は、新しく会った男性のもとに走ることになるのだけれど、別の人を愛してしまったという事実を知らされたであろうシーンを、夫の表情と少ないせりふだけで表現していて、すごい。

男性が、苦しみをあからさまにすることなんてめったになくて、それをさせちゃうってのはやっぱり相当の罪ですよねそうですよね・・・

彼の気持ちは、「一生一緒だと思っていた」という一言に、すべて凝縮されてるんだけど。

主人公がシャワーを浴びているときに水をかけるといういたずらをしていたのは自分だった、それを何十年後かにばらしてわらわせてやろうという息の長いいたずらだったんだ、という夫の言葉をきいて、主人公が泣いたりとかするのも、印象的。


主人公が新しい男性との生活をはじめてからのことは一瞬で表現される。
最初の情熱的な日々が過ぎ去ると、2人で並んで黙ってテレビ見てるシーンとか、
主人公がおトイレしてるその横で男性がが歯磨きしてるシーンとかが映し出される。

ある騒ぎのせいで主人公は一度だけ夫と暮らしていた家に戻るのだけれど、「なにか手伝えることある?」との問いに元夫は「大丈夫、こっちでなんとかするから」みたいなこと答えて、主人公をやんわり拒絶する。

そして、映画の冒頭の、主人公が料理をしてオーブンの中を物憂げに眺めているシーンが再現されるわけ。隣に立ってる男性は、映画の冒頭とは違って夫ではない人なのだけれど。

で、『ラジオスターの悲劇』という、「いつかは飽きられるのさ」みたいな音楽が流れてきて。

「新しいものはよく見えるけど、最初だけよ」とか、「人生はなにか物足りないものなのよ」みたいな台詞がここで思い出されるというわけです。


あたらしいものにこころひかれる気持ち、どきどきしたくなる気持ち、日常生活を投げ出したくなる気持ち、そういうものを抱えながら、でも、そうしてしまってもたぶんいいことはないのだってなんとなく分かってて、分かってるけど現実を突きつけられるというかそんな感じ。

男性の感想が聞きたいわ、これ。