「私事」の軽視がもたらすもの。

続きです。

産後に私がこんなことに驚いたということを列挙し、(この記事案外反響ありました)
なぜ、産後の現実が非経験者にはあまり知られていないのか、
その原因としては、「公」に対して「私」を軽視する考え方がありそうだ、でもそれでいいんだっけ?

ということを3回にわたって考えてきました。


もし、出産とか育児とかそういうことが、世の中でもっと重要なこととして考えられていたら、「産後の現実」なんてものはみんなが知るところとなっていそうな気がします。

しかし今の社会では、経験者とか出産育児業界の人とか、一部のひとにとっては知られているけれど、そうでないひとからは完全に不可視な世界になっているように思われます。


学校で一生懸命勉強していい成績とっても、産後の現実に関する知識なんてのはたぶん身につきません。

日本経済新聞を端から端まで読んでても、同じです。「私の履歴書」で産後の苦労を語るひとなんて、出てたためしがない。

学校とか職場とかの公の領域からは、排除されちゃっているのですよね。


こういう、出産や子育てなどの「私的な」領域に公があまり立ち入らないように、という傾向がうまれた理由のひとつには、このあたりのところに国家がめちゃくちゃ立ち入りまくった戦前戦中時代の反省というか反動もあるのかもしれないな、と私は想像しています。

しかも、戦後は専業主婦化が進み、子育ては専業主婦の仕事となってしまったため、ますます出産や子育ては「公」から切り離されて行ってしまった結果、出産や育児を「私事」の領域、とるに足らない軽微なこととしてあつかわれる方向に進んでいってしまったのかもしれないなあ、と。


「子どもをどんどん産め」とか、「小国民をそだてよ」とか、そういう風に国家によって干渉される時代は、二度と繰り返されてはならないことでしょう。

でも、「プライベートを仕事に優先されるな」とか「仕事に家庭を持ち込むな」って思想だって(ちなみにこのあたりは、アグネス論争でも言われてたという、ある意味由緒正しい言説なのですが)、「私」が軽視されているという点においてはある意味戦時中とおんなじ全体主義なんじゃないのかなって思うし、

そんなこと言ってる限り、少子化とか、いろんな問題は解決していかないよって思うし、

そもそも、社会を担う次世代を育てるという仕事が私的な些事として軽視されてる社会ってどうよ、と思ったりするのですが、いかがでしょうか?