撤退こそ難しいのは、戦争も登山も習い事も同じ、てなことについて。

4歳の長男に初めて習い事をさせることにした。

スイミングの体験授業にお友達の紹介で行ってみたら、本人がいたく気に入ったから、というそれだけの理由なんだけど。

保育園でもやっているし、水は苦手どころか得意なので、行かせる「必要」があったのかと言われると、わからないのだけれど、長男は今のところとてもはりきって通っている。


その姿を見て、思った。習い事は、はじめるよりやめるほうが難しいのではないか。

よほど嫌でもない限り、「やめる?」ときいたら「続ける」と言うと思う、子どもなんて。
大きくなってきたら、友達に対する見栄なんかもあるだろうし。

子どもが続けたいと言ってることを無理にやめさせるのはすごく難しい。


親にだって、はじめたことは続けなさいってな建前もあるし。
それまでにかけたお金のことを考えても、中途半端にやめさせるのもなんかもったいない。

習い事じゃなくて、塾や進学先だったら?

塾も行かせたら行かせただけの成果がほしくなるだろうし、地元の学校じゃなくて私立の小学校行かせたら中学校は地元ってわけにもいかなくなってくるんだろう。

で、上の子がそうだったら下の子も、みたいに、芋づる式。


ああなるほど、こうして教育費とは膨張していくのか。


教育費を引き金としてゆっくりと破綻に向かっている家計って、あるんじゃないかなあ。

いや破綻の引き金と言えば住宅ローンでしょ、って直感的には思うけど、子どもの誕生や成長に伴って家を買うケースが少なくないだろうし、これも広い意味での教育費と考えるとねえ。


国の財政がやばいから仕分けしなきゃ!とか言ってるけど、その前に自分ちの家計をなんとかしろよ、てなことになっているお宅が、日本にはどのくらいあるんだろう。


登山は引き返す判断こそ難しい、と聞いたことがある。引き際の判断を誤ると命にかかわるから。


戦争だって同じじゃないのかなあ。
費やしたお金とか、国民感情とかで、引くに引けなくなって泥沼、ってよくありそう。


歴史を見ると、なんであんな戦争したんだやめときゃよかったのに、と思うことあるけど、翻って自分の家計を見たときに、それを笑える人が世の中にどれだけいるのかって話だよね。

気をつけよっと。