「いまどきの孫育て」を切り口に、3回にわたって考えてきたけれど。
前回記事にて、家事などの不払い労働に従事せざるをえない状況に追い込まれたくなければ稼ぐべきだ、という話を書きました。
これは事実なのかもしれませんが、個人的にはあまり納得がいきません。
第1に、家事や育児や介護などは、人が生きていく上で必要となる行為なのに、社会的にはあまりにも扱いが低いといいますか、重視されていないという現状が、ここに現れている気がするからです。
第2に、家事や育児や介護などは、義務であると同時に権利でもあると思うからです。楽しいことばかりではないにしても、家事や育児や介護にかかわりたいと思っているのに全くかかわる時間が持てない、というのは、それはそれでとても辛いことです。
いったいなぜ、家事や育児や介護にかかわる人間は収入や社会的地位を(程度の差こそあれ)犠牲にしなければならないのでしょうか?
いったいなぜ、一度家事や育児や介護にかかわる(かかわった)人間は、その後も家事や育児や介護を担わざるをえなくなってしまうのでしょうか?
いったいなぜ、家事や育児や介護にかかわるのは主に女性なのでしょうか?
いまどきの「孫育て」を切り口に4回にわたって考えてみましたが、結局疑問に行き着いて終了してしまったのでした。うーむ。力不足。
家事しないためにはお金を稼ぐべき?
前回、前々回と、いまどきの「孫育て」ができる祖父母とはどのようなひとたちか、そしてそのような余裕のある祖父母世代は次第に減っていくのではないかということを書きました。
では、余裕のある祖父母世代がいなくなったそのとき、育児は誰が担うのでしょうか?
今回は、少し範囲を広げて、家事、育児、介護等の不払い労働全般について考えてみたいと思います。
経済的な観点から言うと、「稼ぎが一番少ない人」が仕事を辞めて、あるいは減らして、その任にあたるのがもっとも合理的なのは言うまでもありません。
年収1000万の人と年収100万の人だったら、後者が仕事を辞めるほうが合理的です。
ちょっと話はそれますが、女性はしばしば将来的に家事育児介護を担う可能性があるという理由で、就職の時点で稼ぎの少ない仕事についている場合が多いです。
その結果、女性が仕事を辞めたり減らしたりして、家事育児介護に当たるというパターンは多く見られます。
しかも、家事育児介護に時間をとられるようになると稼ぎのよい仕事につくことはますます難しくなります。
そりゃ、女性の平均所得があがらないわけです。
こちらの第12図を見ますと、男女の平均給与格差は一目瞭然。
しかし、たとえ、稼ぎが一番少なかったとしても、一定の収入があれば、アウトソーシングして自分の負担を減らすという手段がとれます。
逆に言うと、家事や育児や介護をアウトソーシングできるだけの稼ぎがなければ、仕事を辞めて自分でやったほうが安上がり・・・ということになってしまいます。
というわけで、あなたが今、そして将来にわたって、したくもない家事や、したくもない介護や、したくもない孫育てに専念せざるをえない状況に追い込まれないようにするためには、一定の収入を確保し続けること、という身もふたもない結論になってしまいました。
ちなみに、今までは、家事育児介護は女性の仕事とみなされており女性がやるのが当たり前でしたが、今後は、性別は問わないということで、男性にも無関係な問題ではないと思います。
続きは、機会があればまた今度。
いまどきの孫育てが意味するもの。
前回記事では、孫育てできる祖父母とはどういった人たちなのか、そして、孫育てできる余裕のある祖父母が今後減っていくのではないか、ということを書きました。
これを読んで、あれ?と思った方、いるはずです。
昔の方が三世代同居は一般的であり、祖父母が孫の面倒をみることはよくあることだったはずだけれど、昔の祖父母世代ってそんなに余裕あったのか?という疑問がわきませんでしたでしょうか。
ここでポイントとなってくるのが「いまどきの」孫育てであるということです。
それは、かつて行われていたであろう、家業の片手間にやるような孫育てとは異なり、
夜は早く寝かせ、朝は早く起こし、手作りの栄養バランスの取れた食事を適切な時間にとらせ、いつも清潔なものを着せ、整理整頓された家ですごさせ、習い事の往復や練習に付き添い、勉強をみてやり、しつけをし、テレビばかり見せず、ゲームばかりやらせず、学校や保育園からの要請にはいつでも即応できるような、そういう孫育てなのではないでしょうか。
つまり、非常に専業主婦的な、「手厚い」子育てなわけあり、それを、元専業主婦である祖母が主な担い手となって行われているのが、今の孫育てのメインストリームなように思います。
そして、孫育てがそのように行われるのは、専業主婦の元で育った親世代が自分の子どもにも同じようにしてやりたいと思ったり、あるいは、元専業主婦であった祖母が孫に対して自分の子どもにしてやったのと同じようにしてやりたいと思うことが根底にあると思われます。
専業主婦の歴史は案外新しく、1960年代〜80年代ごろがその最盛期だったようです。
そのころ盛り上がっていた、専業主婦を主な担い手とした各種活動(生協など)はだいぶ前から衰退しつつあります。
今、祖父母世代となっているみなさんは、いわば最後の生粋の専業主婦であり、孫育てという形で、最後の社会的活動を行っているのかもしれません。
と、このように表現すると自発的に参加していることがイメージされますが、実体としては、専業主婦として家事育児介護を一手に引き受けその職責を全うしたはずの方々が、孫育てという形で再び無償労働を引き受けることを、今なお社会的に強く要請されている、とも言えます。
共働き家庭は増加しているとはいえ、その背後で多くの元専業主婦たちによるバックアップが行われているとしたら、子育てはその担い手が母親から祖母に変わっただけで、構造的な変化があったわけではありません。
しかし、前回述べたとおり、こういった余裕のある祖父母世代は今後減少していくと思われますし、たとえ余裕があったとしても、自分の時間を削ってまで孫育てに専念するべきと考えるような祖父母世代の人間は減っていくでしょう。
共働き化により親世代が果たせなくなった専業主婦役割を代替してくれる祖父母世代がいなくなったそのときに、一体誰の手によってどのような子育てが行われることを、社会は期待するのでしょうか。そして私たちは。
続きは、機会があればまた今度。
孫育てできる祖父母世代とはどのような人たちなのか?
現代の子育て、とくに共働き家庭やシングル家庭の子育てにおいては、「実家など、頼れるものは頼って」子育てするのが当たり前、とされているような気がします。
その証拠に、「育休とか時短とかとって会社に甘えるな」とか言う話は聞きますが、「いい年して、いつまでも実家に甘えるな」ってな言葉は聞かないですよね。
なぜ、祖父母世代が孫育てに参加することが当たり前とされていて、しかも祖父母世代にとってもそのほうがよい、「頼ってあげるのも親孝行」的な考えが普通とされているのでしょうか?
これを考えるために、そもそも、いまどきの(ここポイント。今回は割愛しますが。)祖父母世代による孫育てはどのような条件の元に成り立つのかを考察してみたいと思います。
私の考えでは、以下の4点を満たす祖父母が存在している必要があると思います。
(なお、これは存在していることが前提とした話ですが、既になくなっている場合とか、親子関係が断絶状態でいないも同然の場合とかもあると思います。)
1.健康である
2.時間がある
3.お金がある
4.仕事をしていない
順番に解説したいと思います。
1の「健康である」は言うまでもありません。病気がちであったら手伝いなんてできません。むしろ手助けが必要。
2の「時間がある」について。長寿社会の現代では、祖父母世代の父母、つまり、孫からみたときの曾祖母曽祖父がまだ健在ということもあるわけですが、その方たちの介護に時間が取られるような場合は無理ですよね。
3の「お金がある」について。もし祖父母世代にお金の余裕が無い場合は、なんの報酬も得られない孫育てなどにかまけていないで、その時間を使ってお金になる仕事をする必要があります。
4の「仕事をしていない」について。もし自分が現役ばりばりで仕事をしていたら、その仕事をなげうってまで孫育てにいそしむかというとそんなことはないのではないでしょうか。
つまり、「祖父母世代の孫育て参加」は、健康で時間がありお金もあるような、生活が自立していてかつ子どもを手伝う余裕もあるけれど仕事はしていない祖父母の存在が前提になっているわけです。
そういう祖父母世代は、現時点、つまり団塊世代あたりではまだそれなりに存在しているかもしれません。
けれどもこの先はどうでしょうか。
1の「健康である」について。今の祖父母世代は自分たちは若い頃に出産していますので、たとえ子ども世代が高齢出産であっても祖父母の年齢はそこまで高くない場合があります。
子どもが35歳での出産でも、祖父母が25歳で出産していれば、孫の誕生時点での祖父母世代の年齢は60歳です。
ところが、今後は祖父母世代も晩婚だったりします。
子どもが35歳での出産で、祖父母が35歳で出産していれば、孫の誕生時点での祖父母世代の年齢は70歳です。
60歳と70歳では、健康面にはかなり差があるのではないでしょうか。
2の「時間がある」ついて。今の祖父母世代はまだ、兄弟の数が多いです。けれど、今後兄弟が2人とか多くても3人だと、介護責任を負う確率は当然ながら高くなります。
3の「お金がある」について。今の祖父母世代は年金も早いうちからもらえますが、今後年金の支給開始年齢はどんどん繰り下げられていくでしょう。60代のうちは働かないと生活が成り立たないという人も多くなるのではないでしょうか。
4の「仕事をしていない」について。今の祖父母世代は、かつて専業主婦で子どもの手が離れてからパートタイムの仕事をしていたような方が多いと思われますが、今後は年齢が下がるにつれて、女性であってもずっとフルタイムで働き続けてきたような人が増えてきます。そういう人たちはおそらく60代になっても何らかの仕事をしていて忙しいという可能性も高く、孫育てなんかしている暇はありません。
このように考えると、今と同じように祖父母が孫育てを手伝うことは不可能なのではないような気がするのですが、いかがでしょう。
続きはまた今度。
自分と同じ苦労を下の世代にもさせないと気がすまない人たちって何なの?
よく、ありますよね。
例えば、年上女性から若い女性へ。
「今の若い女性は男女平等が当たり前だと思っている。私が若い頃は女性はまともな仕事をしてもらえなかったんだから、育休とか時短とか言ってないでもっと働け」とか。
例えば、年配男性から若い男性へ。
「俺が若い頃は、もっとがむしゃらに仕事したもんだ。ワークライフバランスとか甘ったれたこと言ってないでもっと働け」とか。
例えば、おばあちゃん世代から若いママへ。
「私が子育てしてたころは、忙しくって自分のことする暇なんてなかった。あなたも息抜きなんてしてる暇があったら家事ちゃんとしなさい!」とか。
例えば、戦中世代から戦後世代へ。
「戦争中は食べるものも無かったし勤労動員で遊ぶ暇も無かった。食べ物があふれてて平和であることを当たり前に思うな。」とか。
正論と言えば正論なのかもしれませんが、例えば今あげたようなことを常に実行できるひとってどのくらいいるんでしょうか?
年上女性、年配女性、おばあちゃん世代のみなさんも、戦後世代であるという観点で言えば、戦中世代の方々から「今は戦中と比べたら恵まれている」とか言われる立場にあるわけですが、
もし言われたら、「そんなこと言われても、時代が違うし」って思うんじゃないでしょうかね。
それを棚に上げておいて自分は下の世代を批判するって、単に自分が見えてないだけじゃないでしょうか。
ちなみに、逆パターンでの発言も考えてみました。
例えば、若い女性から年上女性へ。
「仕事してたからって子育てに手を抜きすぎだったんじゃないですか?なんでもっと子どもといる時間をとらなかったんですか?」とか。
例えば、若い男性から年配男性へ。
「仕事ばっかりで家庭を顧みなすぎだったんじゃないですか?定年後に家庭に居場所あります?」とか。
例えば、若いママからからおばあちゃん世代へ。
「家事と育児ばっかりやってて、子どもが育ったら他になにもやることないじゃないですか」とか。
例えば、戦中世代から戦後世代へ。
「なんで戦争に反対しなかったんですか?」とか。
これらの問い(普通は、自制して言わないようにしてるんじゃないかと思いますけど、年長者への配慮により)を年上世代に投げたら、たぶん、「昔は時代が違った」って答えが返ってくるんじゃないかな、と思います。
そうなんだよ、時代が違うんだよ。
だから、自分と違う時代に生きてる人のことを「自分と経験してることと違う!」という理由で怒るのはやめましょうね。
今の時代に生きている人間には、今の時代なりの苦労もあるのです。
保育園入園は諦めないことが大事です。
認可保育園の内定発表の季節です。
悲喜こもごもの季節です。
私も、次男の今の預け先が決まるまで紆余曲折ありましたので、なかなか決まらないときのいやーなかんじ、すごく分かります。
気持ちのもっていきようがないんですよね。
なんとしても復職するぞ!仕事するぞ!がんばろう!って方向にもってけばいいのか、もうしばらくこの子とゆっくりおうちでもいいか…と思えばいいのか、なんなのか。
かわいいわが子を預かってくれるところが見つからないなんて、と、絶望的な気持ちにもなりました。
でもですね、探していると、認可外に意外といい保育施設にめぐりあえたりします。
認可園の結果が出ると、認可外にどっとキャンセルと予約の電話が入りますので、状況はかなり流動的になります。
認可外の中でも、(東京で言うと)認証保育所以外の認可外保育施設、例えば保育室みたいな小さいところは案外ねらい目かもしれません。信頼のおけるところがないか、探してみましょう。
認可外もどこもだめでも、年度途中にふと空きがでることもなくはありません。
とにかく申し込みをして、待機リストに入れておいてもらいましょう。
待機人数が多ければ多いほど、行政も動いてくれるかもしれませんし。
それにしても、長男を入れた4年前より状況が厳しくなっている感じなのには、びっくりした。
頑張って働いて税金納めますので、保育園作ってください、お願いします。
子育ての精神的メリットが強調されることのメリットを考えてみよう。
前々回、前回と、「『子育て』という経験に過剰に意味を与えてしまうのだが、それは、子育て経験によって得られるものとしては実利的なメリットがあまりなく精神的なメリットに偏っているからではないか」、そして、「そのように精神的なメリットが強調されるのはあまりよいことではないのではないか」ということを考えてきました。
前回、あまりにもデメリットばかり出てきてしまうまさかの欝展開で終わってしまったので、今回は、子育て経験の精神的メリットが強調されることのよい点を考えてみたいと思います。
で、今更ですが、「子育て経験の精神的メリット」とは、「子どもがいると楽しい」とか、「子どもといっしょにいて安らぐ」とかもそうですが、「子育てを通して自分が人間的に成長できる」とか、そんな感じのことも含んで書いています。
では、よい点を考えて見ましょう。
1.子育て中の人ががんばれる
子育てって結構大変なことも多いので、「やっぱり子どもがいるのはいいなあ」とか、「これも自分にはいい経験になる」とか考えられた方がいいと思います。「こんなことやっててなんの意味があるの、けっ」とか思ってたらやってられんし。
2.子育て終えた人が自分をほめられる
いろいろ大変だったけど、やっぱり子育てしてよかったわーという思いに浸れる。
3.子育てしてない人が、子どもほしいな、と思う
子育て界への新規参入が促される。
てなところでしょうか。あれなんか少ない・・・
今回のこのテーマ、かなり難しかったですが3回にわたって考えてきました。
私としては、以下の2点により、今のこの状態は改善されるのではないか?と思いました。
ひとつは、「子育てって面白いよ」という部分と、「でも大変だよ」って部分が両方、もっとちゃんと伝わったほうがいいんじゃないかな、ということです。
ママタレントとか、雑誌とかで繰り広げられてるキラキラした子育てではなくて、ほんとの、実際の、実態としての育児とか子どもとかいうものが、もっと知られたほうがいい。
もうひとつは、経済的人的な支援がきちんと差し伸べられること。
お金も時間もあまりに負担が多く、そのわりにリターンは少なく、全ては産んだ人の自己責任ね、では、あんまりです。
その影響が次世代を担う子どもたちに及ぶことは、社会にとっても損失だと思うからです。
でもこれってどっちも、今の子育て界をとりまくさまざまな課題のキーとなるこのような気もします。