子育ての精神的メリットが強調されすぎな気がするんですが。

前回の続きです。

現代の子育ては、物理的なデメリットが結構が多いのだが、一方で、精神的なメリット面が妙に強調されているのではないか?ということを書きました。

引き換えにするものが多い分、精神的な価値(ていうか、メリットっっぽいものってそのくらいしかないかも?)を強調するのではないか、と。


果たして、それはよいことなのだろうか。

私は以下の点について問題がある気がするのです。

1.デメリットが覆い隠される
前回も書きましたとおり、今、子育てをしようとすると、お金はかかる、時間はなくなる、職を失うリスクはある、と、デメリットが非常に多いです。

にもかかわらず、経済的支援も人的支援も無いに等しく、例えは悪いですが「玉砕覚悟で、竹やりででもなんでも戦え。気合でなんとかしろ」って言われてるようなもんじゃないでしょうかね。いや、お金にものすごーく余裕のある人は別ですよ。

そういう、ないない尽くしの状態を置いといて、「でも、そういう状態でもやる価値あるくらい、子育てってすごく貴重な経験。ぜひやるべき」「お金がなくなるとか時間がなくなるとか、文句言うな」っていうことになってるんじゃないかなーと。

特に上の世代からはこういうご意見多いですが、時代が違いますからねえ。昔は竹やりでもいけたかもしれないけど、今は竹やりじゃ無理でしょ!


2.子どもがいない人が辛い思いをする
そんな、すっばらしい子育て経験をしていない人が、「人間的に未熟」などと思われてしまう。
欲しいのにできないという人は、できないだけでも辛いのに、こういう扱いされて更に辛いことに。
別に、子育て経験あろうがなかろうが未熟な人は未熟なんですがね。


3.子どもが生まれれば私の人生変わるかも!幻想
子どもがうまれたら、私の今までのつまらない人生が劇的に変わるかもしれない、という幻想を抱かせる。
(いや、確かに劇的に変わりますよ、自分の時間なんて無いに等しくなりますよ、ええ。)
女性誌のママ特集みたいに、きらきら輝くママに私もなれるかも!みたいな。
(いや、実際の子育てってすごーく泥臭いんですが。。)


4.妙な勝ち組意識
2と表裏一体な面がありますが、「子育てしてる自分はえらい」みたいな。いや、そのくらい自分で思わないとやってられんところもありますし、すごーく分かるんですが、こういう意識が強すぎると、子どもいない人たちとお友達になれませんよね。


5.子どもへの影響
私にとってすごく精神的な価値があったのよ子育て!と思われながら育てられるって・・・子ども的にどうなんでしょう・・・
(この点はちょっと良し悪し言い切れませんが。)


と、なんだかデメリットっぽいものがいっぱい出てきてしまって自分としてもかなり欝展開なのですが、一体どうしたらいいのだろう。うーん。

子育て経験を過剰に意味づけしてしまうような気がするの。

タイトルのようなことを、自分に対して、最近ちょっと思っています。


いまどき、家の跡取りとして子どもを育ててるわけでもなく、将来介護してもらうことをあてにしてるわけでもありません。

けれど、子どもがいると自分の時間はなくなるし(究極の暇つぶし!)、子育てには本当にお金もかかるし、なのに仕事を失うリスクだってある。
子どもがいなくて仕事やほかのことをしていたら、もっとできたであろうことがある。

こういう状況だと、「じゃあなんで子どもなんて産んだの?」という問いをしばしば自分に投げざるをえなくて、

その答えとして、

失ったいろんなものとの引き換えにしても、いてよかったと思える、思わなくてはいけない、それだけの価値がないといけない、みたいなのが、潜在意識にあるのかもしれないなあ。と。


これ、なんか、昨今の就活と似てる気がする。


「志望動機は」「学生時代に学んだことは」みたいな質問に、学生さんがすらすら答えられるように、

「出産の動機(いつどうして産もうと思ったか)」「子育てを通して学んだこと」とかが、すらすら出てきちゃうかんじ。


もちろん、子どもがいてよかった、って思うことは本当にいっぱいあって、
というか、いなかった場合のことはもはや想像できないし、いなけりゃよかったって思ったことは本当に一度も一瞬もないのです。


ただ、その「よかったこと」は、ほとんど全て、精神的な側面のことに偏っていて、実利的なメリットって正直あんまり思いつかず(しいて言えば、「お子さんはまだ?」攻撃から逃れられることかな!(笑))

そんな風に精神的なメリット面が妙に強調されることは、果たしていいことなのかなあという疑問があるのです。


いや、デメリットが強調されるよりはいいのだけれどね、たぶん。

仕事上の「産みどき」なんて、あるの?

先日NHKで放送されたクローズアップ現代は「卵子の老化」。
内容はこちらにありますとおり、加齢に伴って卵子が老化し子どもができにくくなりますよ、というお話だった…らしいです。

らしい、というのは実は私も見ていない。

しかし、ツイッターでは一時ホットワードとして「卵子」があがるなど、話題沸騰だったようです。


この番組に伴い、あがってた意見に、「若い方が妊娠出産しやすいのは分かる。でもだからって、1、2年目とかの仕事覚えてないうちに産んだ人に復職されても、できることが限られすぎていて周りが困る」というようなものがありました。

そ、そうか・・・

入社4年目で出産した人間にはぐさっとくる一言です。

うーん、でも、どうなんでしょう。

20代で出産すると、「仕事も覚えてないのに困る」と言われ
30代で出産すると、「リーダー経験や後輩指導をさせたいのに困る」と言われ
40代で出産すると、「重要なポストについてるのに困る」と言われる。

つまり、いつ産んでも「困る」って言われるんじゃないでしょうか?


それはそうです。だって、現状、「キャリア」と呼ばれているものの形成手段としては長時間労働が前提であり、同じように長時間労働(?)である「育児」とは、どうしたって相容れないものだからです。

出産育児の好適年齢と、「キャリア」形成好適年齢とは完璧に重なっているわけで、今までそれがどうして成り立ってきたかと言うと、言うまでもなく、「キャリア」を形成する人間と育児をメインで担う人間が、同一人物ではなかったからです。

がーん。

じゃあ無理ねってことで退職…ということになると、しかし、今度は、「ここまでお前を育成するのにどれだけコストがかかってきたと思うんだ」と批判されます。

じゃあ産まないってことにすると、「子どもはどうするの?卵子老化するわよ」って言われます。

これ、どんだけ罰ゲームなんでしょうか。

したらもう、空気なんて読まずに、自分の好きなときに産む/産まないのが、最終的な人生満足度は高いんじゃないかって感じがしてきます。


ちなみに、この番組の感想としては、こちらにあるように、

女性には、男性とは違うライフ&キャリアプランニングが必要

ってな意見もありましたが、私はそれはすっごくおかしいと思います。

男性の子育てタイミングは、考えなくてよいのでしょうか?男性だって、子育てにかかわる権利と義務を有しています。

たしかに、現状、キャリアか子どもかの選択を迫られているのは大半が女性です。でも、その状態がヘンなのです。

子育てのことなんてなーんにも考えられていない今の労働環境がおかしいのだけれど、それは女性固有の問題ではありません。


妊娠出産育児のこととなると女性の問題、って扱うのはもうやめてほしいです。人間は、無性生殖してるんじゃありません。

そのプロジェクト、破綻回避できませんか?(共働き家庭運営的な意味で。)

前回記事に引き続き、子持ち共働き家庭の運営について考えてみたいと思います。


はたして、家事にはどのくらい時間がかかるのか。

家事時間については各種統計がありますが、例えば国立社会保障・人口問題研究所の「第3回全国家庭動向調査」を見ますと、平日の家事時間は、フルタイム勤務で3時間以上、パートタイムや自営業の場合は4時間以上という結果になっています。(ちなみに、ここでの「家事」には育児は含まれていないようです。)

また、NHK生活時間調査によりますと、有職女性の平日の家事時間(こちらは、育児も含んでいる模様)は約平均3時間半となっています。

(個人的には、食事、お風呂、送り迎えの3大イベントだけで3時間なんてあっという間に過ぎてしまってますが。)

数字にはばらつきありますが、少なくとも3時間とか4時間、場合によってはそれ以上を、平日の家事や育児に費やしているということになりそうです。

もし、職場で一日8時間働いて、更に家で4時間5時間働いていたら、合計は12時間以上にのぼります。

職場のみで毎日それだけ働いていたら、産業医との面談が行われるレベルで、あきらかに過重労働です。

やはり、前回書きましたとおり、仕事、家事、育児、を一人で全てこなすことはものすごくハードルが高く、多くの場合は破綻が目に見えていると言わざるを得ません。

仕事なら、「あの時ひどいプロジェクトにまわされて毎日終電で悲惨だったけれど、あの経験で自分は一回り成長したから!」などということもあるかもしれませんが、家庭運営の場合、同じメンバーで何十年も続く長丁場。しかも、失敗してしわ寄せが行くのはひょっとしたら子どもかもしれません。

子どもがいると、当初の見積より多く時間がかかることはあっても、少なくてすむことはほとんどありません。
(もちろん、成長に伴って手はかからなくなっていきますが。)

また、あまりにも綱渡り的な日々を送っていて、病気をしたとか怪我をしたとかそういう突発的な事象が起きたときにたちまち立ち行かなくなるのも困ります。

それに、「やりたいこと」が何一つできず、「やるべきこと」だけで毎日が終わってしまう日々というのは心身ともに疲弊させられます。一日にほんのちょっとでもいいから、自分のやりたいことをやる時間がとりたいですよね。

一人でなんとかできるだろうと思わず、一人ではできない、無理だと認識しておくこと、これは大きなポイントなのではないかと思います。
(仕事でもそうですよね!)


最後に、このブログ記事は子持ち共働き家庭を念頭において書いておりますが、専業家庭の方が余裕しゃくしゃくで日々を過ごしているかと言えばけしてそんなことは無いと思う、ということを申し添えておきます。

そのプロジェクト、破綻してませんか?(共働き家庭運営的な意味で。)

そろそろ保育園の内定も出はじめる季節です。四月からはお仕事!という方は、具体的にどうやっていこうかと頭を悩ませているころだったりします?

そこで考えたいのは、時間配分です。どうやったら一日がまわるんでしょうかねえ。


まず、大前提として、「一日は24時間しかありません。」

そこから必要な時間を引いていきましょう。

たとえば、

・睡眠 7時間(個人的にはこのくらい取りたい。子どもの年齢によっては夜泣きもあるし)
・勤務時間 9時間(8時間+休憩1時間)
・通勤時間 2時間

だとすると、24−18で、あなたに残された時間はあと6時間です。

6時間もある!と思うかもしれませんが。

この6時間に何をやらないといけないか、考えてみてください。
お子さんの年齢にもよりますが、例えばこんなかんじです。


1・自分の身支度をする
2・子どもを起こす
3・子どもを着替えさせる
4・子どもの熱を測る
5・保育園の連絡帳を記入する
6・朝ごはんを作る
7・朝ごはんを盛り付ける
8・朝ごはんを食べる、かつ、食べさせる
9・朝ごはんを片付ける
10・子どもの身支度をする
11・ごみを捨て、新しいゴミ袋をセットする
12・保育園へ連れて行く
13・保育園に迎えに行く
14・夕食を作る
15・夕食をもりつける
16・夕食を食べる、かつ、食べさせる
17・夕食を片付ける
18・お風呂に入る、かつ、入れる
19・子どもの遊び相手をする
20・子どもの歯を磨く
21・子どもを寝かしつける(一緒に寝てしまわないように気をつけること)
22・保育園から持ち帰った洗濯物やごみを片付け、翌日の持ち物をセットする
23・乾いた洗濯物を片付ける
24・洗濯機を回す
25・洗濯物を干す
26・お風呂掃除をする


と、こんな感じです。毎日必ずやらないといけないことだけでも、こんな感じです。
今数えると26項目あります。360分÷26だと、一項目あたり14分弱ですね。

あれ?結構忙しくない?

ちなみに、長男年中、次男が1歳の我が家の場合、朝、1〜11までの項目をこなすのに、夫とふたりがかりでおよそ1時間15分かかっております。
項目12は、夫単独でやっておりますが、2箇所回っている関係もあり、2、30分かかっていると思います。

また、夕方から夜にかけて、13〜23までをこなすのに、私一人で約4時間かかっております。
(こちらは、詰め込めば最大1時間くらいは短縮できるかもしれませんが。)

どうでしょうか?終わる気しますか?

終わらないよ!と思う方は、なにか取れる対策がないか考えましょう。

睡眠時間を削ってやる、というのはおすすめしません。体力そがれるので。

となると、アウトソーシングするか(含む夫)、合理化機械化省力化を図るか、しか、ないかと思いますが。

勤務時間を減らすという調整方法が取れるかたもいらっしゃるでしょう。

最初から破綻確実なプロジェクトに突入することは、できることなら避けたいものです。

ま、避けられない場合もあるんでしょうけど。

「私事」の軽視がもたらすもの。

続きです。

産後に私がこんなことに驚いたということを列挙し、(この記事案外反響ありました)
なぜ、産後の現実が非経験者にはあまり知られていないのか、
その原因としては、「公」に対して「私」を軽視する考え方がありそうだ、でもそれでいいんだっけ?

ということを3回にわたって考えてきました。


もし、出産とか育児とかそういうことが、世の中でもっと重要なこととして考えられていたら、「産後の現実」なんてものはみんなが知るところとなっていそうな気がします。

しかし今の社会では、経験者とか出産育児業界の人とか、一部のひとにとっては知られているけれど、そうでないひとからは完全に不可視な世界になっているように思われます。


学校で一生懸命勉強していい成績とっても、産後の現実に関する知識なんてのはたぶん身につきません。

日本経済新聞を端から端まで読んでても、同じです。「私の履歴書」で産後の苦労を語るひとなんて、出てたためしがない。

学校とか職場とかの公の領域からは、排除されちゃっているのですよね。


こういう、出産や子育てなどの「私的な」領域に公があまり立ち入らないように、という傾向がうまれた理由のひとつには、このあたりのところに国家がめちゃくちゃ立ち入りまくった戦前戦中時代の反省というか反動もあるのかもしれないな、と私は想像しています。

しかも、戦後は専業主婦化が進み、子育ては専業主婦の仕事となってしまったため、ますます出産や子育ては「公」から切り離されて行ってしまった結果、出産や育児を「私事」の領域、とるに足らない軽微なこととしてあつかわれる方向に進んでいってしまったのかもしれないなあ、と。


「子どもをどんどん産め」とか、「小国民をそだてよ」とか、そういう風に国家によって干渉される時代は、二度と繰り返されてはならないことでしょう。

でも、「プライベートを仕事に優先されるな」とか「仕事に家庭を持ち込むな」って思想だって(ちなみにこのあたりは、アグネス論争でも言われてたという、ある意味由緒正しい言説なのですが)、「私」が軽視されているという点においてはある意味戦時中とおんなじ全体主義なんじゃないのかなって思うし、

そんなこと言ってる限り、少子化とか、いろんな問題は解決していかないよって思うし、

そもそも、社会を担う次世代を育てるという仕事が私的な些事として軽視されてる社会ってどうよ、と思ったりするのですが、いかがでしょうか?

「個人的な事情」?

前回記事にて、産後の生活ってこんなかんじなんだよということがなぜこんなにも知られていないのか、ということを書きました。

もうすぐ産後生活に突入することが分かっている妊婦ですら産後はじめて現実を知り「え?」となるのに(前々回記事参照)、妊婦以外のみなさんがどうして知りようがあるでしょう。

しかし、産後ってこんな感じ、子育てってこんな感じ、それから、妊婦ってこんな感じ、ということも、みんなもっと知っておいて良いことだと思います。

これから妊婦さんになる可能性のあるひと、パパになる可能性のある人はもちろんですが、自分には縁がなさそうだという方でも、今後は、部下や上司や同僚が妊婦や産婦、ということも当たり前、ってな時代になるかもしれませんし、そういうひとたちの「個人的な事情」もちゃんと頭に入れてマネジメントする技能はあって損するもんじゃありません。


というかですね。「個人的な事情」。これってほんとに「個人的な」事情なのでしょうか。

私自身は、二度とも会社員として妊娠出産しておりますし、今も時短勤務しているのですが、こうなってくると、これ、ただの私のプライベートイベントじゃないような気がしてくるんですよね。

だって、私がいつから産休に入るか、いつ復職するか、いつまで時短勤務するか、そういうことって、周りの人からしたら負担する業務量とか内容とかにかかわる問題なわけで。(私ができない分の仕事はだれかに負ってもらうことになるので。)

私の個人的なことだから、みなさん気にしないでねって言うわけにもいかないし、そういう問題じゃありません。

例えばですが、個人的な事情だからって、妊娠をいつまでもひたかくしにする女性社員がいたら、たぶんそっちのほうが迷惑ですよね。

そう考えると、むしろ、「個人的な事情」をどんどん周りに公表していったほうが、周りからしてみても助かるくらいなのじゃないか?という気がしてきます。


また、「個人的な事情」と「そうでない部分」を分けるものはなんなのか、そもそも分ける必要があるのか?ってことも不思議です。

妊娠出産、子育て、介護、家事、看病、それに、趣味とか、恋人とのデートとかも入れてもいいと思いますけれど、とかその辺のことを、「個人的な事情」「私的な部分」といって、「仕事」という「公の場」から無理に切り離し、時に、一段低く見るような考え方って、正しいんだろうか?

仕事よりプライベートを優先するなんてけしからん、てな考え方もありますけれど、そもそも、仕事とプライベートってそんなに分けて考えられるものなんでしたっけ?

誰にだってプライベートはありますし、「事情」を抱える時期が全くない職業人生なんていうのもありえないのではないかと思うけれど。


と、いうわけでようやく話は戻るのですが、仕事などの「公」と、個人的な事情たる「私」を分けて考え、しかも、「私」の部分があまりにも軽視されている傾向が、「産後の現実が知られていない」ことの原因の一つではないかと思うのです。

・・・あれ?今ちょっと論理が飛躍しましたかね。

長くなってきてしまったので、続きはまた今度。