ラピュタに見る、「僕の夢は君の夢でもあるよね」という男子の勘違いと、「私のためにこんなにしてくれるなんて」という女子の勘違い。

すごーく久しぶりにラピュタを観て思ったこと。

ムスカ(敵)につかまって脅されたシータ(ヒロイン)が、パズー(主人公)の身を案じるが故に別れを告げるシーンで、パズーが「そんな!一緒にラピュタに行こうって言ったじゃないか」みたいなことをシータに向かって言うのですが、
やおいおい、この時点ではシータ一言も「一緒にラピュタに行きたい」なんていってないじゃん、と突っ込んでしまいました。

少なくともこの時点では、ラピュタに行くことはパズー(の父)の夢であり、シータはしり込みしています。シータはただ、ラピュタにゆかりのあると思われる品を持っているだけ。つまり、一緒の夢を見ていると思っているのはパズーの勘違いです。

「あなたの夢は私の夢でもあるの」と言って優しく見守り、時には励まし、手助けを惜しまない(その多くは、身の回りのあらゆる雑事を引き受けることによって)女子がそばにいてくれる、というのは、男子にとっては憧れなのでしょうか?

また、女子も、「(だめなところもあるけど能力ある)男子に尽くして支えたい」なんて願望もなくはない。そうでなければ「ゲゲゲの女房」みたいな話がはやらないわけがありません。いや、実は一度も見たことないから知らないんですけど、すいません。

かつて女子にとっては自ら立身出世する手段は限られていましたし、パートナーたる男子に夢を託すというのは、上方婚の変形版なのかもしれませんね。(時にその対象は息子だったりもする。)

まあでも、よほどよくできた女子かつよほど運と才能に恵まれた男子でないと、夢を実現しかつ不満が残らないというのはなかなか難しい気がするけど。

シータだって、無事故郷に帰り着いたときパズーが「僕、実はアトランティスも探してるんだよね」と言いはじめたら、「いや、私は一緒に行かないから」ってなるんじゃないかと思う。


一方、シータのほうも勘違いをしています。2人で海賊船に乗り込んだときパズーに向かって、「私のためにパズーに海賊になってほしくない」みたいなこと言ってますが、パズーはシータのためだけにドーラの海賊船に乗り込んだのかというとそうとも言い切れないような気もします。

女子は、「私のために、特別に」男子がなにかしてくれることをとっても喜ぶし、それで相手の愛情を測るようなところもあるんだけれど、意外と男子は、「彼女のために」してるという意識はないのかもしれません。

ぴったり息があってるように見えるカップルでも、意外と同床異夢で、でもそのほうが上手くいくのかもね。