子育て経験を過剰に意味づけしてしまうような気がするの。
タイトルのようなことを、自分に対して、最近ちょっと思っています。
いまどき、家の跡取りとして子どもを育ててるわけでもなく、将来介護してもらうことをあてにしてるわけでもありません。
けれど、子どもがいると自分の時間はなくなるし(究極の暇つぶし!)、子育てには本当にお金もかかるし、なのに仕事を失うリスクだってある。
子どもがいなくて仕事やほかのことをしていたら、もっとできたであろうことがある。
こういう状況だと、「じゃあなんで子どもなんて産んだの?」という問いをしばしば自分に投げざるをえなくて、
その答えとして、
失ったいろんなものとの引き換えにしても、いてよかったと思える、思わなくてはいけない、それだけの価値がないといけない、みたいなのが、潜在意識にあるのかもしれないなあ。と。
これ、なんか、昨今の就活と似てる気がする。
「志望動機は」「学生時代に学んだことは」みたいな質問に、学生さんがすらすら答えられるように、
「出産の動機(いつどうして産もうと思ったか)」「子育てを通して学んだこと」とかが、すらすら出てきちゃうかんじ。
もちろん、子どもがいてよかった、って思うことは本当にいっぱいあって、
というか、いなかった場合のことはもはや想像できないし、いなけりゃよかったって思ったことは本当に一度も一瞬もないのです。
ただ、その「よかったこと」は、ほとんど全て、精神的な側面のことに偏っていて、実利的なメリットって正直あんまり思いつかず(しいて言えば、「お子さんはまだ?」攻撃から逃れられることかな!(笑))
そんな風に精神的なメリット面が妙に強調されることは、果たしていいことなのかなあという疑問があるのです。
いや、デメリットが強調されるよりはいいのだけれどね、たぶん。