「あとでがんばればいい」と言われても・・・な訳。

子どもを育てながら仕事をしていますと、「今はお子さん小さいから大変でしょう(から第一線では働けない)けれど、手が離れたらまたがんばればいいですから」みたいなことを言ってくださる方がいて、それは励ましの言葉としてありがたく思わなくてはならないところなのですが、私としては明るく「そうですよね!」とはお返事できない部分もあります。

手が離れたら、ね。それっていつ?

3歳ですか?小学生ですか?中学生ですか?高校生ですか?

そりゃ、もうじき1才の次男と比べたら年中の長男はだいぶ身の回りのことは自分でできますが、「手が離れたか?」といわれると、まだまだです。
じゃあ小学生になったらどうか?というと、小学校低学年のうちは、持ち物をそろえるとか、宿題をやるとか、むしろ幼児のころより親のサポートが必要そうです。
それなら、小学校高学年や中学校になったら?
自分のことはできるかもしれませんが、食事や洗濯はどうするか?
全て家政婦さんに任せて自分は仕事?そんな生活送りたいか?私は送りたくないですよ。


仮に、「手が離れる」のが義務教育終了の15歳と仮定しますと、もし、末子を35歳で出産していたら50歳です。
なんか、これからがんばるって歳でもない気がしてくるのですけれど…
ていうか、そのころには自分の親が介護必要かもしれないですよね。


私が、「子どもが手が離れてから、あとでがんばればいい」といわれてあいまいな笑顔しか返せないのは、それはとても配慮のある言葉に見えて、「がんばる」ことができないひとを排除する言葉だからです。

つまり、子どもがいて残業できないような人は、いらないよ、と。今は特別に一時的に許してあげてるけど、そういうの本来の働き方じゃないから。半人前だから、といわれている気がするのです。

子育てはまだいいです。一応、先が見えるので。でも、先が見えない介護をしてるひととか、病気を抱えている人、障害のある子を育ててる人はどうすればいいのでしょうか。働く資格ないんでしょうか。

子どもいないし関係ないや、と思っている方も、ご自身が親の介護をしていたら、と考えてみればどうでしょう。
介護が終わったらまたがんばればいいですから、って言われて、うれしいですか?
それ、早く死んでほしいって言ってるのと同じことじゃないですかね・・・


育児や介護を一時的なものと捉える休業制度や時短制度も必要ですが、これからは、時間に制限のあるひとも責任を持って働ける仕組みを整えることを考えていくべきではないかなーと私は思ってます。

というか、そうしていかないと職場が回っていかなくなってくと思うのですが。