楽しみを希う心

15年ぶりにピアノを再開し、今練習しているのは、「楽しみを希う心」(The Heart Asks Pleasure First)。映画「ピアノ・レッスン」のサントラです。有名?
映画は見たことありませんが、曲が印象に残っててずっと弾きたいと思ってました。それこそ、15年ごしとか20年ごしとかで実現できたわけですが。


映画のあらすじしか知らない状態ではありますが、この曲のタイトル「楽しみを希う心」とはどういう意味なんだろう、と弾きながら考えています。
いや、こういうタイトルだということもついこの度知ったわけなのですが。

直訳すると、「心はまず楽しみを求める」みたいなかんじになるの?

英語のニュアンス的にどうなのか分かるほど堪能じゃありませんし、
そしてそれがどうしてこういう旋律に落とし込まれたのかが想像できるほどの音楽性も持ち合わせていませんので、単純に字面だけで考えるのですが、いろいろとよぎるものがありすぎてまとまらない。なのでまずひとつだけ書きます。


ピアノ、大人の女性(映画のヒロインは娘のいる女性)、そして楽しみを希う心、ときいて私が思い出したのは、はるか昔にどこかで読んだ文章です。

ある専業主婦の方が、子どもは学校で勉強したりピアノを習ったりしていて、夫は会社で仕事をしてて、と、自らの向上のために時間を使っているのに、私だけが日々育児と家事との繰り返しであることが辛かった。なので、英会話教室に通い始めたら、少し気持ちが落ち着いた、と。

これを読んだころ私はまだ結婚前だったと思いましたが、非常に刺さりました。
というのは、専業主婦だった私の母も、こういう思いを抱きながら娘の私を見ていたのかもしれない、と思ったからです。

自分が年をとるにつれて、幼いころは完璧に見えていた「大人」という存在が、すごく不安定で危うくて、葛藤や不安や欲望を抱えた不完全な人間であることが分かってきたわけですが、
自分の父親や母親についても、親としてではなく個人として成し遂げたいなにかを抱えているのだ、ということに気がつくのが、私は本当に遅かったです。
というか、子どものころはそんなこと考えたこともなかった。

親がわが子のことを、一人の人間として尊重することはもちろん大切ですが、子が親を一人の独立した個人として尊重することも大事なのではないか。

それは、私が自分の両親や義父母に対してもそうしたいですし、自分の子どもたちに対しても、夫や私のことをそのように認めてほしい。

とふと、そんなことを考えたのです。

もちろん、結婚している人であれば配偶者についても、互いの人生を尊重する気持ちが必要で。

自分の心を満たそうとするのは当然の欲求ですが、それが誰かの過度の犠牲の上に成り立っていてはいけない、と思うのです。